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例)研究発表 生命科学科
[2016/09/05]
医学図書館所蔵の「皮膚科学教室旧蔵皮膚病図譜」について

  医学図書館所蔵の「皮膚科学教室旧蔵皮膚病図譜」について、「九州大学附属図書館研究開発室年報2015/2016(2016年8月発行)」にて紹介されていましたので転載にてご紹介いたします。「皮膚科学教室旧蔵皮膚病図譜」は医学以外の分野、特に文化史的な方面から見ても価値のあるものです。 


 

 

医学図書館所蔵の「皮膚科学教室旧蔵皮膚病図譜」について
―ヘブラ“Atlas der Hautkrankheiten”を中心に―
 
梶原 瑠衣†
<抄録>
医学図書館の資料調査・整理の中で発見された、「皮膚科学教室旧蔵皮膚病図譜」コレクションについて紹介する。
  
<キーワード> 医学図書館、皮膚病図譜、ヘブラ、土肥慶蔵、ムラージュ

Kyushu University Medical Library Collection : Atlas of skin diseases
KAJIWARA Rui

1. はじめに
  九州大学(以下、本学)のルーツは、1911(明治44)年創立の九州帝国大学、1903(明治36)年創立の京都帝国大学福岡医科大学、1888(明治21)年開院の県立福岡病院、1879(明治12)年開設の福岡医学校、と遡ることができる。福岡医学校や県立福岡病院の時代から、教授達は当時最先端の図書、雑誌類を収集していた。それから100 年以上を経た現在、これらは貴重な資料として、本学の医学図書館に残されている。特に、1990 年代終わりから2000 年代初めにかけて、本学名誉教授のミヒェル・ヴォルフガング氏によって調査・整理された貴重古医書コレクションは、多くの研究者に利用されている。これに加えて、諸先生方にご指導いただきながら、近年は図書館職員も積極的に資料の調査、整理を行っている。その中で、医学図書館に様々な文庫、コレクション類が存在することも分かってきた。たとえば、九州大学の学祖、大森治豊の旧蔵本「大森治豊文庫」、日本住血吸虫の中間宿主であるミヤイリガイを発見したことで有名な宮入慶之助が収集した「宮入文庫」、本学卒業生の医史学者、岩熊哲の旧蔵本「杏仁医館文庫」、などが挙げられる。[1] このような文庫、コレクションの中から、本報告では、医学以外の分野、特に文化史的な方面から見ても価値のある、「皮膚科学教室旧蔵皮膚病図譜」コレクションについて紹介する。

2. 「皮膚科学教室旧蔵皮膚病図譜」の概要
  本コレクションは、皮膚科学教室から医学図書館へ移管されたもので、2015(平成27)年度に目録整理された。移管時期は不明である。整理のきっかけは、前述した大森治豊文庫である。この文庫の調査報告書を作成していた附属図書館の山根係員(当時)が、『医傑大森先生の生涯』に次のような記事を発見した。[2]

  「旭憲吉氏が記念録に述べているところは先生が医神とまで仰がれるに至った所以は、その所得を挙げて新刊の外国図書雑誌を購い、之を翻読されるを唯一の趣味娯楽とせられたことによると迄極言されており、そのよい一例は、旭氏が九大皮膚科教授として赴任した当時先生が思い出したように言われるには、福岡病院時代ヘブラ氏皮膚病図譜を買求めたが、今どこにしまってあるか探してみてくれと。旭氏はびっくりした。それと言うのはこのヘブラ氏の本は一八七二‐一八七六年に出版にかかるもので当時絶版となっていて高価なることその当時四百円もする逸品であったので、皮膚科では研究上一日も欠くことの出来ぬ万人唾涎おく能わざる珍本であった。早速大学を探したら内科教室の図書棚にあって交渉の結果皮膚科教室の図書館におさめ一異彩を放つに至った。聞説先生は明治十五‐十六年頃購められたらしく当時日本全国に皮膚科学が独立しておらない時分、先生は既に非凡なる着眼によって研究心をこの分野に向けられた訳で、全く外科学者であり、同時にすぐれた皮膚科学者であった訳である云々と旭氏は先生の偉大さをほめたたえている。」[3]

  文中の「万人唾涎おく能わざる珍本」である『ヘブラ氏皮膚病図譜』がどのようなものか、現在も皮膚科学教室に残っているのか、もしくはすでに医学図書館へ移管され、目録整理されているのかなど、当初は不明であった。しかし、皮膚科学教室図書原簿の情報を確認することによって、保存書庫に保管されていた大量の皮膚病図譜がこれに該当することが判明した。皮膚科学教室図書原簿には、受入日は「明治40年」と記載されている。旭憲吉が九州大学に赴任したのは1906(明治39)年10月であるから、文中の時期ともほぼ合致する。

  また、図譜の中には、『ヘブラ氏皮膚病図譜』のほかに、19世紀後半から20世紀初頭にかけて刊行された4タイトルが含まれていることが分かった。全て皮膚科学教室の蔵書印があり、皮膚科学教室図書原簿で備品番号を確認することができた。これらをさらに調査・目録整理し、「皮膚科学教室旧蔵皮膚病図譜」コレクションとしてまとめた。以下がそのタイトルである。
 

(1)
受入日: 1907(明治40)年3月14日  
備品番号: 32-61
皮膚科学教室図書原簿記載書名: ヘブラー 教授用皮膚図譜
Title: [Atlas der Hautkrankheiten]
Author: [Hebra, Ferdinand]; [Elfinger, Anton]; [Heitzmann, Carl]
Publication info: [Aus der Kaiserlich-königlichen Hof- und Staatsdruckerei : In Commission bei W. Braumüller], [Wien], [1856-1876]
 

(2)
受入日: 1907(明治40)年9月30日  
備品番号: 66-73
皮膚科学教室図書原簿記載書名: クローカア氏 皮膚病図譜
Title: Atlas of the diseases of the skin : in a series of illustrations from original drawings with descriptive letterpress
Author: by H. Radcliffe Crocker
Publication info: Blackwood Le Bas &amp; Co, London, United Kingdom, 1903
 
(3)
受入日: 1910(明治43)年9月8日  
備品番号: 22
皮膚科学教室図書原簿記載書名: 土肥慶蔵著 日本皮膚病梅毒図譜
Title: 日本皮膚病梅毒図譜
Author: 土肥慶蔵著
Publication info: 朝香屋書店, 東京, Japan, [1910序]
 

(4)
受入日: 1931(昭和6)年10月31日  
備品場号: 74
皮膚科学教室図書原簿記載書名: 萬国稀有皮膚病図譜
Title: Internationaler Atlas seltener Hautkrankheiten = International atlas of rare skin diseases = Atlas international des maladies rares de la peau
Author: herausgeber, Malcolm Morris ... [et.al.]
Publication info: Leopold Voss, Hamburg, Germany, 1889-1899
 

(5)
受入日: 1931(昭和6)年10月31日  
備品番号: 126
皮膚科学教室図書原簿記載書名: ノイマン氏 皮膚病図譜
Title: Atlas der Hautkrankheiten
Author: von I. Neumann
Publication info: Wilhelm Braumüller, Wien, Austria, 1896
 
2.1. 「ヘブラ氏皮膚病図譜」について
   「皮膚科学教室旧蔵皮膚病図譜」コレクションの中で特筆すべきは、やはり『ヘブラ氏皮膚病図譜(Atlas der Hautkrankheiten)』である。日本では、石原あえか氏による先行研究が詳しい。[4] この資料は、1856年から1876年の間に、テキストと図版が10回に分けて刊行された。図版は全部で104枚あり、白黒の線描画と彩色リトグラフの二種類であった。彩色リトグラフは精密で鮮やかである。皮膚の患部は浮き上がっているように見え、非常に生々しい。また、皮膚病そのものだけでなく、患者一人ひとりの姿も丁寧に描かれている。図版の中で特に目を引くのは、全身に刺青をした男性の絵である。刺青の文様は細かく美しい。医学史料としてだけでなく、美術的価値も高い資料であることが伺える。(図1)
  本学所蔵の『ヘブラ氏皮膚病図譜』には、標題紙、テキスト、白黒の線描画がなく、彩色リトグラフだけが残っている。しかし、彩色リトグラフに欠落はなく、全104枚が揃っている。状態は未製本で、一枚ずつ黒い製本テープが四方に貼られ、裏面には手書きで番号が振られていることから、実際に講義や医局で利用されていたと予想される。日本国内では、他に東京大学皮膚科学教室に数帙(ちつ)存在するという。国内の図書館等の所蔵について、本学以外に残存しているという情報は、現在のところ確認できていない。海外では、この資料に関する詳細な解説付きの電子展示ページも作成されている。[5] 本学所蔵の『ヘブラ氏皮膚病図譜』も、その存在が広く知られれば、今後研究者による活用が期待されるだろう。
  
  この資料の著者について、皮膚科学教室図書原簿記載の書名に見えるのは「ヘブラ」だけであるが、実際には、フェルディナント・フォン・ヘブラ(1816-1880年)、アントン・エルフィンガー(1821-1864年)、カール・ハイツマン(1836-1896年)三名の共著である。
ヘブラはオーストリアの医師、ウィーン大学皮膚科学教授で、近代皮膚科学の祖と言われる。カポジ肉腫を発見したことで知られるモーリツ・カポシは、ヘブラの娘婿にあたる。[4]
  
  エルフィンガーとハイツマンは、図版の元になる水彩画を描いた人物である。104枚図版のうち、67枚はエルフィンガー、36枚はハイツマン、1枚はハイツマンの弟によって描かれた。[7]
  
  エルフィンガーは、ウィーンで薬屋の息子として生まれた。少年時代から芸術の才能があり、1836年にウィーン美術アカデミーに入学し、絵画を学んだ。教師の中には、画家のレオポルド・クーペルワイザーがおり、その影響がエルフィンガーの絵にも見られるという。彼はまた、母親の望みにより、ウィーン大学で医学も学んだ。医学博士の学位を取得したのは1845年のことだった。その後、ウィーン大学皮膚科学教室のヘブラの元で働き始め、皮膚病患者の様々な疾患を描いた。同時に、“Cajetan”というペンネームで、新聞の漫画やタロットカードのイラストを描く仕事もしていた。豊かな才能を持ちながらも、大学での仕事の契約が切れた後は生活が困窮し、病気のため43歳で死去した。素晴らしい仕事を残したのにもかかわらず、現在では忘れられた人物となっている。[6] [7]
  
  ハイツマンはクロアチアで軍医の息子として生まれ、ブダペストとウィーンで医学を学んだ。1859年に医学博士の学位を取得し、ヘブラの元で働き始めた。彼は正式な美術教育を受けたことはなかったが、水彩画とリトグラフの技術を持っており、エルフィンガーの死後、皮膚病図譜の仕事を引き継いだ。1874年にはニューヨークへ渡り、アメリカ皮膚病学会の設立メンバーの一人となった。[7]
  
  夭折したエルフィンガーと、医学者として成功したハイツマン、二人の生涯は対照的である。しかし、美術の才能を有していただけでなく、医学も修めた人物であるという点は共通している。このような二人とヘブラによって作成された『ヘブラ氏皮膚病図譜』は、遠く日本まで「皮膚科では研究上一日も欠くことの出来ぬ万人唾涎おく能わざる珍本」として伝わったのである。
 
 
2.2. 「日本皮膚病梅毒図譜」について
  『ヘブラ氏皮膚病図譜』同様、もう一点見るべき資料がある。日本で刊行された初めての本格的な皮膚病図譜、『日本皮膚病梅毒図譜』である。この資料の著者は、東京大学皮膚科教授で、日本の近代皮膚科学の祖とされる、土肥慶蔵(1866-1931年)である。彼は、ヨーロッパへ留学中、ウィーン大学でカポシに師事した。ムラージュ(蝋人形)製作を日本へ伝えたことでも知られる。[8]
  
  この資料は、『ヘブラ氏皮膚病図譜』と同様、説明文と彩色石版図版が10回に分けて刊行された。本学所蔵分は、テキスト、図版どちらも残っている。未製本で、図版裏面に手書きの番号が見られる。図の精密さは『ヘブラ氏皮膚病図譜』に劣らない。患者の姿も詳しく書き込まれており、明治初期の風俗を見ることができるという点でも価値があるだろう。(図2)残念ながら一部欠落しているページがあるが、全国的にあまり多くは残っていない貴重な資料である。

3. おわりに
  写真技術が発達していない時代において、図譜と同様に重要だったのは、蝋で作成された模型、ムラージュであった。本学にも、多数のムラージュが残っており、ウェブ上で画像が公開されている。[9] 図譜とムラージュ両方の存在から、これらを利用して教育が行われていた時代の様子が想像させられる。
  
  本学のムラージュは、大正に入ったころから作成が始まったという。日本にムラージュ作成を伝えたのは、土肥慶蔵である。彼自身は、ヨーロッパ留学中、カポシの元で、ムラージュ師からその作成方法を学んだ。さらに、前述したように、カポシはヘブラの娘婿であり、その学派の流れを汲む。土肥が日本へ帰国する際、カポシは「ヘブラ氏ノ学、吾子ニ頼リテ日東ニ傳ハルヲ得ハ亦我面目ナリ幸ニ自重セヨ」と言ったという。[10] 『ヘブラ氏皮膚病図譜』『日本皮膚病梅毒図譜』を見ることで、ウィーンで始まった近代皮膚科学が、ヘブラ、カポシ、土肥という流れで、福岡の地まで辿り着いた道程を感じさせられる。

謝辞
 本報告執筆にあたり、下記の皆さまに大変お世話になりました。記してお礼申し上げます。
 
石原あえか先生(東京大学准教授)
古江増隆先生(九州大学教授)
ミヒェル・ヴォルフガング先生(九州大学名誉教授)
              (以上、五十音順)
医学図書館の職員の皆さま
「コンテンツの形成および保存に関する調査研究」参加職員の皆さま
 

文献
[1] 九州大学附属図書館医学図書館所蔵コレクション
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/collections?field_display_tid_i18n=65(参照 2016-5-31)

[2] 山根泰志,“大森治豊の旧蔵書,”九州大学大学文書館ニュース,Vol.39,pp.4-8,2015.

[3] 宇留野勝彌編,医傑大森先生の生涯,宇留野勝彌,1961.

[4] 石原あえか,“皮膚科ムラージュをめぐって 医学と芸術の邂逅(3)ヘブラからカポシを経て土肥へ 土肥=伊藤の『日本皮膚病黴毒圖譜』(東京大学皮膚科学教室),”西日本皮膚科,Vol.77,No.6,pp.542-547,2015.

[5] Hebra Atlas
http://hebra.dermis.net/content/index_ger.html(参照 2016-5-31)

[6] Skopec M.“Anton Elfinger (1821-1864)--a forgotten medical illustrator.” International journal of dermatology,Vol.22,No.4,pp.256-259,1983.

[7] Holubar K1, Schmidt C.“Art in dermatology versus dermatology in art. Anton Elfinger (1821-1864) and Carl Heitzmann (1836-1896) Hebra's forgotten painter-physicians.” International journal of dermatology,Vol.33,No.5,pp.385-387,1994.

[8] 土肥慶蔵の医学関係資料とその時代-鶚軒文庫・電子展示

[9] 九州大学医学研究院皮膚科学分野保存ムラージュ(ロウ製皮膚病型模型)

[10] 小野友道,“土肥慶蔵教授のKaposi教授への追悼文,”Visual Dermatology,Vol.3,No.2,pp.130-132,2004.
 
 
 

(図1)「ヘブラ氏皮膚病図譜(Atlas der Hautkrankheiten)」
 

(図2)「日本皮膚病梅毒図譜」
写真撮影:医学図書館参考調査係 古賀京子

†かじわらるい 九州大学附属図書館図書館企画課企画係
(〒812-8581 福岡市東区箱崎6-10-1) E-mail:kajiwara.rui.351(a)m.kyushu-u.ac.jp
※(a)を@に置きかえてメールをご送信ください

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